月別アーカイブ: 2021年8月

針の穴をくぐり生還

2021年8月31日(火)放送分

担当は宮城葉子さんです。

琉球新報の記事から紹介します。

西原町池田に住む中村陽一さん(67)歳が、
大阪に住む姉とのやりとりを通じて、
2013年に亡くなった母親の吉子さんの
沖縄戦での体験をこのほどまとめました。

1926年、旧玉城村前川、
現在の南城市に生まれた吉子さんは当時19歳で、
アメリカ軍上陸後は、炊事婦として
部隊と行動を共にし、
何度も九死に一生を得ました。
吉子さんは口癖のように何度も
「自分は針の穴をくぐって生還した」
と語っていたということです。

吉子さんはアメリカ軍上陸後に
前川から糸満方面に移動し、
真栄平辺りで部隊を離れ、
1人で逃げ回るようになりました。
さまよっている時に見つけた
壕に避難しようとした際、
先にいた日本兵に銃剣を突き付けられ
「ここは民間人が入れるところではない。
言うことを聞かないと撃ち殺すぞ」
と脅されましたが、
「自分は軍属だ。こんな砲弾が落ちる外に
出ていけというのか」と食い下がり、
壕に入ることができたということです。

陽一さんは
「母はよくお茶を飲んでいる時に
沖縄戦の話をしてくれた。
母は誰に対してもしっかり物をいう人で、
足も速かった。
あらためて母はすごい体験をしたと思う。
体験をまとめて良かった」
と語りました。

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八重山石垣市のデンシンヤーを県指定史跡に指定

2021年8月30日(月)放送分

担当は上地和夫さんです。

琉球新報の記事から紹介します。

県教育委員会は27日付で、
石垣市の「海底電線陸揚室跡」を
県指定史跡に指定しました。
「海底電線陸揚室跡」は
地元では「デンシンヤー」と呼ばれています。

海底電線陸揚室跡は1897年、
陸軍省臨時台湾電信建設部が建設し、
本土と台湾の基隆を結ぶ海底電線の、
重要な中継基地となっていました。
沖縄戦当時、アメリカ軍とイギリス軍の標的となり、
空襲による無数の弾痕が建物に残っています。

戦後、無線電話の発達に伴い、
海底電線陸揚室としての役目を終え、
旧逓信省から日本電信電話公社、
現在のNTTを経て、
1985年に石垣市に無償譲渡され、
86年に石垣市指定史跡に指定されました。
敷地内には建物のほか、
石積みや通信員が使っていた貯水用タンク、
井戸などが現存します。

県文化財保護審議会は
「県が近代の通信情報網に組み込まれた
社会情勢を示すとともに、
八重山諸島における沖縄戦の痕跡を
残すことで重要な遺跡と評価される」
と答申し、
金城弘昌県教育長は
「新たな史跡の指定は、
文化財の保存・継承の観点から大変喜ばしい。
石垣市教委員会と連携し、
文化財の保存と継承に努めたい」
コメントしました。

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座喜味一幸(ざきみ・かずゆき)さん 【宮古島市市長】

沖縄羅針盤
毎週日曜日 午後4時半~5時 放送中
8月29日放送分

今週のコーラルラウンジは、宮古島市市長の座喜味一幸(ざきみ・かずゆき)さんとラウンジ常連客で沖縄大学地域研究所特別研究員の島田勝也さんのおしゃべりです。

座喜味さんは1949年生まれ。宮古島市のご出身です。

県立宮古高校から琉球大学農学部に進学し林学を学びました。大学卒業後は復帰直後の沖縄総合事務局へ入局。国家公務員として沖縄の復興に尽力しました。

総合事務局を退職後、2008年に自民党公認で沖縄県議会議員に当選。3期務めました。2021年1月の宮古島市長選では、オール沖縄側の推薦を受けて初当選。3代目の宮古島市市長に就任しました。

学生時代、総合事務局勤務時、県議会議員と様々な立場で宮古島を見続けてきた座喜味さんの島への思いを聞きました。

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くすりと笑いぐさりと響く

2021年8月27日(金)放送分

担当は林京子さんです。

琉球新報の記事から紹介します。

「魚を追いこんでも 酒に追いこまれるな」。
多良間村内各地に設置されている標語看板が
くすりと笑いを誘い、
ぐさりと心に響くと島内で話題となっています。

看板は、去年10月に、多良間小学校の
当時の5年生14人が
「島を明るくしたい」
との思いから総合学習の一環で制作したもので、
14カ所に設置しています。

「続けよう消毒アルコール お酒はノンアルコール」
「あおり運転やめましょう。アオリイカは食べましょう」
など、感染拡大しているコロナへの注意喚起や
交通安全、お酒にまつわる大人への戒めを
込めたものなど、児童の自由な感性と
心情が存分に表れています。

「魚を追いこんでも」を生み出した男子児童は
父親ともっと一緒に遊びたいと願いを込めたということで、
「お酒ばかり飲んでいる人に響く、
良い看板だといろんな人から褒められた。
父さんは魚を追い込んで捕ってくれる。
食べるとおいしいけれど、お酒を少し控えて
僕を釣りに連れて行って」と願いました。

当時担任だった男性教諭は
「児童らがのりのりでどんどんアイデアを出し、
看板を作るところから設置まで、全部、
自分たちで頑張った。たくさん褒められ、
児童たちも満足そうで良かった」
と笑いました。

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