対馬丸救助の手記寄贈

方言ニュース  2014年5月12日(月)
担当は糸数昌和さんです。

琉球新報の記事から紹介します。

1944年8月22日、
学童疎開船「対馬丸」が
アメリカ軍の攻撃で沈没した付近に
翌日駆け付け、
遭難者を救助した高知県の元漁師で、
当時16歳だった故杉本寛(ゆたか)さんの妻の佐智子さん(80歳)が
きのう、那覇市の対馬丸記念館を訪れ、
寛さんが救助の様子を記した手記を寄贈しました。
手記は記念館に展示されます。

寛さんは生前、救助の様子を佐智子さんに話していましたが、
手記は1994年8月、寛さんが66歳で亡くなった後に見つかりました。

生存者で、対馬丸記念会の高良政勝(まさかつ)理事長は手記の存在を知り、
「鳥肌が立った」ということで、
言葉を詰まらせ、しばらく絶句しました。
また、生存者らも駆け付け、
引率教員だった糸数裕子(みつこ)さん(89歳)は、
「大波に揺られてちょっとでも手を離すと
流れてしまうあの状況を思い浮かべると、
感謝の気持ちでいっぱいだ」と話し、

手記を寄贈した佐智子さんは、
「主人も戦争の無い平和な国に、
と願っているんじゃないかと思います。
若い方にお伝えください」
と話していました。

 (了)

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