月別アーカイブ: 2018年4月

2018年4月30日 第395回目の放送分です

4月30日 第395回
うちな~噺家、藤木勇人こと志ぃさーが、秋田出身で沖縄文化に詳しいフリーのしゃべり手、佐々木仁子をアシスタントとして迎え、沖縄ヤマトグチと秋田ヤマトグチで番組内の各コーナーを軽妙につないでまいります。 そして定期レギュラーとして神奈川・東京WEBマガジン、ハブコネクションの釣本忠勝編集長にも登場していただき、大和での沖縄芸能情報をピンポイントで届けます 。
オキナワンドリーム
ゲストは、ミュージシャンのタナカアツシさんの人生について伺います。
東京井戸端ユンタク
テーマは、沖縄のデリバリー・大和のデリバリー

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大宜味村で「日本一早出し」の新蕎麦まつり

方言ニュース2018年4月30日(月)放送分

担当は糸数昌和さんです。

琉球新報ニュースです。

「日本一早出し」と銘打った
新蕎麦まつりが昨日、
大宜味村江洲公民館で開かれ、
地元産の新そばなどを使った日本そば
およそ700食に、
訪れた家族連れらが舌鼓を打ちました。

新蕎麦まつりは収穫の時期にあたる
3月から4月に合わせて
昨年から開いているものです。

大宜味産のそばは粘りがあり、
つなぎを使わない「十割そば」でも
味わうことができます。

県外からそば職人3人が参加し、
細やかな手つきでそば打ちの
実演を披露していました。

午前10時から地元や県内各地から
家族連れが来場して、
そば打ちの様子に見入ったり、
かけそばを買い求めたりし、
「ずずっ」と麺をすすって
そばの香りを楽しむ姿が見られました。

中城村から訪れた高崎幸季(しい)さん(7歳)は
「麺の感触がおいしかった」と
話していました。

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「山川のちゅんじゅくステーキ弁当」発売

2018年4月27日(金)
担当 糸数昌和先生

琉球新報の記事から紹介します。
プロ野球埼玉西武ライオンズは、那覇市出身で、
4番打者として活躍中の山川穂高内野手がプロデュースした弁当を
あすから、本拠地の西武ドームで販売します。
その名も「山川のちゅんじゅくステーキ弁当」で、
うちなーぐちで、思い切りや力強くを意味する
「ちゅんじゅく、ちゅーじゅく」が自身のプレースタイルに合う言葉として山川選手本人が商品名に提案しました。
弁当には、山川選手の好物のステーキのほか、
ゴーヤーチャンプルーやソーミンチャンプルーなどが入っており、
ご飯には自身の愛称にもなっているブランド豚「あぐー」を使用した「あぐーふりかけ」がトッピングされ、
税込み1500円となっています。

山川選手は「ステーキがやわらかくゴーヤーもおいしくて、最高です。
ぜひ食べてみてください。めっちゃおいしいよ」とコメントしています。

山川選手のプロデュース商品は「山川のあぐーまぜソバ」に次いで2つ目となります。

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「那覇市繁多川で石畳が発見される」

那覇市繁多川にある識名坂=シチナンダビラの
道路改良工事現場で、およそ500年前の琉球王朝時代に造られた
「真珠道」の一部とみられる石畳が発見されたことが分かりました。

真珠道は尚真王時代に整備された道路で、守礼門から金城町、
シチナンダビラなどを経て国場川河口の真珠港=那覇港まで
およそ4キロをつないでいました。

那覇市道路建設課によりますと、石畳は今月中旬に見つかり、
市文化財課が調査方法などを検討しています。
見つかった石畳はおよそ15メートルで、石畳は沖縄戦による砲弾で
所々破壊されたものの、1965年ごろまで残っていたということです。

その後、自治会が道路のコンクリート舗装を求め、
1970年ごろには自動車も通れる道路となりましたが、
その下に石畳が残っていることは明らかになっていませんでした。

那覇市歴史博物館の学芸員の外間政明さんは、
発見された場所などから真珠道の石畳である可能性が高いとの
見解を述べ
「沖縄戦で繁多川地域は砲弾が多く飛んできた場所なので、
戦争で破壊されている箇所もあったとみられる。
真珠道の石畳は現在、表面上残っているのは
首里金城町の石畳だけなので、貴重な発見だと思う」と語りました。

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オヤケアカハチ慰霊祭開催

2018年4月25日(水)放送分
担当は上地和夫さんです。

琉球新報の記事から紹介します。

およそ500年前に琉球王府の過酷な徴税に反旗を翻し、
農民救済のために戦ったとされるオヤケアカハチをたたえる
「アカハチ慰霊祭」がこのほど、
慰霊碑のある石垣市大浜の崎原公園で行われ、
大浜小学校の6年生や地域住民らが出席し、
アカハチの遺徳をしのびました。

オヤケアカハチは波照間島に生まれ、
石垣島の大浜村に渡ったとされました。

琉球王府は反逆者として制圧しましたが、
地元では村人を救うために立ち上がった
英雄として語り継がれています。

慰霊祭はオヤケアカハチが亡くなったとされる
旧暦3月3日に毎年開かれており、
参加者は合掌してオヤケアカハチを慰霊し、
「アカハチの歌」を合唱して功績をたたえました。

また、八重山郷土史家の大田静男さんが
オヤケアカハチが生きた時代背景や人物像を解説しました。

大浜公民館の大濱館長は
「アカハチ精神は受け継がれ、
シンボルとして今なお生き続けている。
アカハチのことを広く世に
知ってもらいたい」とあいさつしました。
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闘牛のような成長目指して うるま市模合仲間「若人牛」

2018年4月24日(火)

担当は宮城葉子さんです。

琉球新報の記事の「ザ・モアイ」の中から紹介します。

中部農林高校畜産加の32期生でつくる「若牛人」。
1980年に始まり、現在では公務員や空手の先生など
さまざまな職種のメンバー7人で構成されており、
毎月の集まりでは近況などの話題のほかに、
共通の趣味でもある闘牛の話で盛り上がります。

月1度の模合のほか、ボウリングや
年に2回のパークゴルフなどでの交流も続けていますが、
それでもメンバーが集まれば、
話題は次第に闘牛の話しになります。

模合名の「若牛人」も若い牛が大きく成長していくように、
自分たちも成長していきたいとの思いで名付けました。

15年前には闘牛をプリントしたおそろいのシャツを作り、
その後は去年に「ユニホーム」として
紫色のシャツを作ったということで、
呼びかけ人のうるま市の幸地良明さんは、
「みんな闘牛が大好きだから、将来はみんなで
若い牛を1頭飼って、大会で1勝させたいね」と語りました。

メンバーの目標は模合を80歳まで続けることですが、
メンバーのうるま市の横田民夫さんは
「まずは60歳をみんなで迎えたい。
その時は『赤いちゃんちゃんこ』みたいなものでそろえたいね」
と笑いました。
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2018年4月23日 第394回目の放送分です

4月23日 第394回
うちな~噺家、藤木勇人こと志ぃさーが、秋田出身で沖縄文化に詳しいフリーのしゃべり手、佐々木仁子をアシスタントとして迎え、沖縄ヤマトグチと秋田ヤマトグチで番組内の各コーナーを軽妙につないでまいります。 そして定期レギュラーとして神奈川・東京WEBマガジン、ハブコネクションの釣本忠勝編集長にも登場していただき、大和での沖縄芸能情報をピンポイントで届けます 。
オキナワンドリーム
ゲストは、スタイリスト諸見里 司さんの人生について伺います。
東京井戸端ユンタク
テーマは、沖縄のサラリーマン・大和のサラリーマン

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県失語症友の会解散に涙 家族の心の拠り所にも

2018年4月23日(月)

担当は糸数昌和さんです。

琉球新報の記事から紹介します。

県失語症友の会、通称ゆんたく会の解散総会が
きのう、那覇市内ホテルで開かれました。

前身の組織を含めて19年、当事者、家族らの
心のよりどころだった会の役割が一区切りすることに、
参加者からは「寂しいね」「続いてほしいね」との声が上がり、
「また会う日」を約束し合って、会の歴史に幕が下りました。

失語症の当事者や家族らで組織したゆんたく会は
月2回の言語訓練やバス旅行などを通じて
交流を深めてきましたが、
会員や家族の高齢化によって活動が困難になっていました。

総会は、亡くなった会員への黙とうから始まり、
会員らは食事を取りながら、互いの近況を報告しました。
8年前に他界した夫と共に会を立ち上げ、
支えてきた事務局長の大城貴代子さんは
「続けることができたのは会員の協力があったから。
絆はこれで最後ではない。また会える」と語り、
照屋寛会長は
「カラオケが一番のリハビリになった。続いてほしかったね」
と残念そうに語りました。

また、失語症の夫と会に参加した67歳の女性は
「会員同士で会うだけで心が和む。勇気をもらい、
家族も心のよりどころだった」と語りました。

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