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横浜市の鶴見公会堂で、26年ぶりの組踊「執心鐘入」を上演

「横浜市の鶴見公会堂で、26年ぶりの組踊「執心鐘入」を上演」
方言ニュース7月21日(木)放送分。
今日の担当は上地和夫さんです。
琉球新報の記事から紹介します。

 川崎沖縄芸能研究会の組踊研修部は、このほど、横浜市の鶴見公会堂で、
第1回研修発表会を開き、組踊「執心鐘入」を上演し、
26年ぶりの組踊上演に、県人会関係者や芸能ファンなど
多くの人が詰めかけ、大きな拍手を送りました。

 川崎沖縄芸能研究会は1949年に発足し、1951年から
沖縄芸能大会を主催して組踊を上演してきましたが、
1990年を最後に途絶えていました。

 そこで、組踊を復活させようと2013年に組踊研修部を開講し
練習に励んできたもので、沖縄から、立方指導に
琉球舞踊宮城流教師の宮城茂雄さん、地謡指導に野村流音楽協会師範の仲村渠達也さんの
二人を月に1度招き、3年間練習を積んできました。

 舞台は、「かぎやで風節」の斉唱で始まり、組踊「執心鐘入」を
演者を入れ替えて2度上演しましたが、地謡、立方総勢36人が
参加した舞台が終わると会場を大きな拍手が包みました。

組踊研修部の下地部長は
「一から教えてくれた二人の先生に感謝する。月に一度の約束だったが、
月に何度も沖縄から来てくれて熱心に教えてくれた。
組踊を継続させるためさらに研さんを積んでいく。きょうがスタートだ」
と成功を喜んでいました。

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琉球古典箏曲が記録を残すべき文化財として選択される

2016年7月20日(水)放送分
担当は上地和夫さんです。

文化審議会は今月15日、「琉球古典箏曲」を
「記録作成などの措置を講ずべき無形文化財」に選択するよう
宮田文化庁長官に答申し、
宮田長官によって選択されました。

これは、日本の芸能や工芸技術の変遷を知る上で
重要ではあるものの、消滅の恐れがあり
記録を残すべき無形文化財が選択されるもので、
県内では1977年に工芸技術で
「壷屋の荒焼」が選択されましたが、芸術では初めてです。

登録有形文化財は県内で82件となります。

今後、識者らが3年から5年かけて
文書、映像などによる記録を作成します。

「琉球古典箏曲」が
「記録作成などの措置を講ずべき無形文化財」に選択されたことを受け、
関係3団体からは
「全国的に価値が認められたのは素晴らしい」と期待する声が上がる一方、
「趣味の多様化や少子化で箏の人口が減っている。
箏を絶やさないよう、普及活動、後継者育成に
力を入れたい」と気を引き締める声も聞かれました。

また文化審議会は伊是名村の
「旧名城家住宅主屋」「旧名城家住宅石垣」を
登録有形文化財に登録するよう宮田長官に答申しました。

近く官報で告示され、登録されます。
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2016年7月18日 302回目の放送分です

うちな~噺家、藤木勇人こと志ぃさーが、新メンバー秋田出身で沖縄文化に詳しいフリーのしゃべり手、佐々木仁子をアシスタントとして迎え、沖縄ヤマトグチと秋田ヤマトグチで番組内の各コーナーを軽妙につないでまいります。 そして定期レギュラーとして神奈川・東京WEBマガジン、ハブコネクションの釣本忠勝編集長にも登場していただき、大和での沖縄芸能情報をピンポイントで届けます 。
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元ひめゆり学徒『戦争のない世に』 自分史発刊

2016年7月19日(火)放送分

担当は伊狩典子さんです。

琉球新報の記事から紹介します。

元ひめゆり学徒で、
県女師・一高女ひめゆり平和祈念財団前理事長の
本村つるさん(91)歳がこのほど、
自分史「ひめゆりにささえられて」を発刊しました。
生い立ちから女学校時代や戦争体験、教員生活、
ひめゆり平和祈念資料館開館までの歩みをまとめたもので、
本村さんは
「私が資料館の仕事を続けることができたのは、
戦争で亡くなったお友達が支えてくれたおかげだと思う」
と自分史に込めた思いを語りました。

本村さんは県立第一高等女学校卒業後、
沖縄師範学校女子部に進学し、
1945年3月末、卒業式直前に南風原村
現在の南風原町にあった陸軍病院に動員され、
病院壕に配属された同じ学徒の安否を
確認する役割を担いました。

戦況悪化に伴い、陸軍病院から南部に逃げる道のり、
学友の死、捕虜になるまでの戦争体験を記し、
「上級生は下級生の世話を見るように言われていたが、
負傷した下級生を戦場に残してきた。忘れることはできない」
と苦しい胸の内を語ります。

また、教員時代や亡くなった夫との結婚生活をつづった他、
悲惨な戦争体験を後世に伝えようと、
資料館開館へ情熱を傾けた様子も描かれています。
本村さんは
「お世話になった方々に対するお礼の気持ちも込めた」
と話しています。

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