第32軍司令部の留守名簿公開

 方言ニュース    
2020年1月6日 水曜日
きょうの担当は上地和夫さんです。
琉球新報の記事から紹介します。
沖縄戦で日本軍を指揮した第32軍司令部が1944年に作成し、戦後に復員庁が生死を書き加えた「留守名簿」がこのほど公開されました。
名簿には将兵や軍属ら1029人の氏名が記載され、沖縄出身者は278人に上り、
都道府県別で最多でした。
県出身者のうち軍属は8割を占め、兵士よりも民間人が多く徴用されたことが読み取れます。
「筆生(事務員)」や「傭人」などとして、県出身女性も数多く記載されており、鉄血勤皇隊員として、司令部壕にいた大田昌秀元県知事の名前もありました。
沖縄戦研究者の吉浜忍元沖縄国際大学教授によりますと、
第32軍司令部の留守名簿公開は初めてだということで、
「32軍司令部に所属する将兵らの内訳はこれまで明らかになっておらず、極めて史料的価値は高い。32軍司令部の実態解明の糸口となる
資料だ」と指摘しました。
留守名簿の1029人のうち、「戦死」と記載された人は692人に上り、 このうち、45年5月、首里から摩文仁に指令部を移した後に死亡した人は600人です。
吉浜氏は「『捨て石』の持久作戦の南部撤退で犠牲を拡大させたのは、住民だけでなく兵士らもそうだったと言える」とし、死に至るまでの状況などの解明がさらに必要だと指摘しました。

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