2017年12月12日(火)
担当は宮城葉子さんです。
琉球新報の記事から紹介します。
1961年に旧具志川村川崎、
現在のうるま市川崎にアメリカ軍機が墜落し、
2人が犠牲となった事故から56年を迎えた7日、
現場近くの川崎小学校で平和集会が開かれ、
事故で一命を取り留めた
金城善孝さん63歳の体験を踏まえ、
6年生児童が悲惨な事故の様子を発表し、
「金城さんが一生懸命生きて命がつながった。
事故を風化させず、生きていこう」と訴えました。
金城さんから体験を聞いた児童6人は
「普通の生活ができるまで2年かかった」
「退院後もやけどの痕が残り、
バスで化け物を見るような目で見られ悲しかった」
と報告しました。
6年生は谷川俊太郎さんの詩
「生きる」を大きな声で発表し、
下級生に命の大切さを伝えました。
また、金城さんの孫で5年の山入端乙音さんが
「生きていてくれてありがとう。そのおかげで私がいる」
と、金城さんに宛てた手紙を読み上げ、
仕事の都合で参加できなかった金城さんに代わり、
妻の尚美さんが涙で目を潤ませながら手紙を受け取りました。
体験を報告した児童らは
「やけどでまぶたが腫れ、
目が3カ月開かなかったという話が心に残っている。
聞いた話をいろんな人に知ってほしい。
まずは家族に今日のことを話す」
と語りました。