方言ニュース 2020年8月26日(水)
きょうの担当は上地和夫さんです。琉球新報の記事から紹介します。
去年の県内のキウイフルーツ輸入金額は7912万円で、前の年に比べて8・3%増加し、過去最高となりました。
これは沖縄地区税関が発表した統計によるものです。
輸入量は187・1トンで、1・0%減と若干落ちたものの高い数量で推移しています。
今年上半期も数量が前の年の同じ時期に比べて47・7%増の123・2トン、金額が51・0%増の5447万円と伸びを見せています。
那覇青果物卸商事業協同組合によりますと、甘みの強い品種「ゴールドキウイ」が
流通し始め、県内で需要が伸びています。
今年は新型コロナウイルスの影響で業務用の需要は落ちましたが、
巣ごもり需要で家庭消費は増え、量販店の売り上げは伸びているということです。
県内で海外からキウイを直接輸入しているのは那覇青果物卸商事業協同組合だけで、
2010年からニュージーランドからの輸入を始めました。
数量と金額共に右肩上がりで推移し、2017年の輸入量は188・9トンと
過去最高を記録しました。
総務省の家計調査によりますと、県内の1世帯当たりのキウイフルーツの
年間支出金額は、2010年に602円だったのが
去年は1167円と2倍近くに増えています。
月別アーカイブ: 2020年8月
根路銘もえ子先生「情報技術を活用した観光の楽しみ方」(後篇)
安木屋
安木屋
81歳 現役整備士 仕事に夢中
方言ニュース 2020年8月25日(火)
きょうの担当は宮城葉子さんです。
琉球新報の記事から紹介します。
「仕事をしている時が断然、気分がいい」こう語るのは、機械油の染みついた厚い手で
吹き出す汗を抑えながらバイクに視線を注ぐ又吉盛儀さん(81)歳です。
又吉さんは、名護市安和出身の整備士歴65年を超える
現役整備士で、宜野湾市上原の国道330号沿いにある
「セイキモータース」で毎日、愛用のつなぎ姿で店頭に立ちます。店はおよそ45年前、
友人から引き取り始めたもので、「この辺りはキビ畑ばかりだった。
道が悪かったせいか、パンクしたバイクの修理依頼が毎日あった」と振り返ります。
当時、客のほとんどは米兵で、大型の外国製バイクの整備がほとんどでしたが、
「先輩たちはどんな部品でも作りよった。この人たちはエンジンの中から
生まれたのでは、と思うほど物知りだった」と語ります。
自分の店を持ち、現在地に移ってからも
客の信頼は厚く、実直で確かな腕を買われ、県警の白バイ隊が乗る大型バイクの整備、
点検などを担っています。
およそ10年前、長男に仕事の大半を任せるようになりましたが、
「警察学校の生徒だった若い子たちが、立派になって家族を連れて店に顔を出す。
昔なじみの顔を見るのが最近の楽しみだ」と、黒ずんだ部品を片手に白い歯を見せました。(了)
2020年8月24日 第515回目の放送分です
ラーメン暖暮
ハブクラゲ カツオノエボシに注意
方言ニュース
2020年8月24日(月)放送分
担当は上地和夫さんです。
琉球新報の記事から紹介します。
うるま市消防本部はハブクラゲや
カツオノエボシに刺されるなどして、
救急搬送された人が今月1日から19日の間に
11人に上っているとして、
「肌の露出を避け、
ハブクラゲ侵入防止ネットが設置された
ビーチを利用してほしい」
と注意を呼び掛けています。
救急搬送人数はハブクラゲに刺された人が9人、
カツオノエボシが2人で、
被害を受けた主な場所は
うるま市海中道路海岸線、
浜比嘉島の浜比嘉地区海岸、
比嘉漁港海岸などです。
新型コロナウイルス感染拡大防止のため
クラゲ対策が整ったビーチが閉鎖された影響で、
海岸で泳ぐ人が増えている可能性があり、
県保健医療部の担当者は「自治体やホテルなど、
ビーチ管理者にネットの有無や
閉鎖されていないかを確認して遊泳してほしい。
または遊泳自体を控えてほしい」
と呼び掛けています。
猛毒を持つハブクラゲは6月から9月ごろ、
人に被害を与える大きさに成長し、
過去には死亡事故も発生していることから、
県はハブクラゲ発生注意報を発表しています。
また、カツオノエボシは外洋性のクラゲで
毒を持ち、風の強い日などに岸に
打ち寄せられることがあります。
オープニングトーク『みーかーは阿佐ヶ谷姉妹と叶姉妹が本当の姉妹と思ってたんだって』
糸数慶子(いとかずけいこ)さん 【前参議院議員】
沖縄羅針盤
毎週日曜日 午後4時半~5時 放送中
8月23日放送分
今週のコーラルラウンジは、前参議院議員の糸数慶子(いとかずけいこ)さんとラウンジ常連客で沖縄大学地域研究所特別研究員の島田勝也さんのおしゃべりです。
糸数さんは1947年生まれ。読谷村のご出身です。
県立読谷高校を卒業後、沖縄バスでバスガイドを長年務め、常に平和の視点と沖縄独自の自然や文化にスポットをあてて沖縄を伝え続けました。平和バスガイドの先駆け的な存在です。
その後、専門学校の講師や、大学の非常勤講師を経た後、1992年に沖縄県議会議員に初当選。さらに2004年には「平和の一議席」を訴えて参議院選挙に立候補し、当選を果たしました。昨年まで参議院議員として平和、人権、環境問題などを中心に政治活動を精力的に展開されました。