方言ニュース」カテゴリーアーカイブ

姉の記憶を絵本で出版、集団自決を語り継ぐ

2024年4月2日(火)放送分

担当は中川信子さんです。

琉球新報の記事から紹介します。 

渡嘉敷村の新垣光枝さんはこのほど、
去年亡くなった実の姉の悦子さんが伝えた
沖縄戦の記憶と島の悲劇「集団自決」の体験を基にした絵本を作りました。

題名は「エツ子がつないだいのち~死にたくないよう~」で、
沖縄戦当時、国民学校1年生の悦子さんが
体験した1944年10月10日の空襲から始まり、
当時の家庭や学校生活、日本兵の駐屯、
山小屋避難生活などが描かれています。

45年3月26日にアメリカ軍が座間味村に
上陸して沖縄戦が始まりました。

27日には渡嘉敷村に上陸し、
この日の夜、軍の命令で大雨の降りしきる中、
悦子さん家族5人や住民らは「集団自決」に追い込まれ、
父が手りゅう弾で命を絶とうとしました。

周囲の住民らが死のうとする様子を見た
悦子さんが「こわいよ!死にたくないよう!」と
必死に叫んだことで家族が生き延びたことや、
戦後の様子などをつづっています。

新垣さんは「渡嘉敷幼稚園教諭在職中に
姉の悦子が伝えてくれた戦争の記憶と
島の『集団自決』の体験の話を基に、
平和と命の尊さを後世につなげたいとの思いで作成しました。
子どもたちにはこの絵本を基に平和学習、
読み聞かせを今後も続けていきたい」と思いを話しました。

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歌謡フェス、75歳以上の部門で北中城村の瑞慶覧さん優勝

2024年4月1日(月)放送分

担当は上地和夫さんです。

琉球新報の記事から紹介します。

音楽事務所のクラウンミュージックが主催する
「クラウン歌謡フェスティバル2024」が
このほど、東京都内で開催され、
75歳以上が出場するプラチナの部で
北中城村の瑞慶覧朝勇(ずけらん・ちょうゆう)さんが優勝しました。
県内出場者の優勝は史上初めてです。

大会は全国のカラオケ愛好家が所属する
「クラウン歌謡学院」のメンバーが出場し、行われたもので、
朝勇さんは北島三郎さんの「石狩川よ」を歌いました。

本番ではあまり緊張せず、高音を出すことができ、
「結果発表で名前を呼ばれてびっくりした。
鳥肌が立った」と振り返りました。

朝勇さんは次男、三男と共にカラオケで練習する仲で、
ラジオ沖縄で毎週日曜日に放送している
「演歌の花舞台 人生歌あり」にも
「瑞慶覧3兄弟」として出演しており、
「歌うことは一種のアンチエイジングだ。
若返っているような感じがする」と笑みを見せました。

番組でナレーターを務める砂川玄龍(すながわ・げんりゅう)さんは
「声質が良く伸びやかに歌っている。
朝勇さんの歌を聞くと毎回涙ぐんでしまう」と語ります。

今後の目標について朝勇さんは
「大会は我流で優勝した。
今度はボイストレーニングを受けてみたい」と
実力向上に向けて意気込んでいました。

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受水走水で豊作願う親田御願開催

2024年3月28日(金)放送分

担当は赤嶺啓子さんです。

琉球新報の記事から紹介します。

旧暦の1月初干支午(うし)の日の
2月12日、南城市玉城仲村渠区は、
大勢の区民が参加して稲作発祥の地・
受(うき)水走(んじゅはい)水(んじゅ)で
豊作を願う「親(うぇーだ)田(だ)御願(うがん)」を開催しました。

幸喜区長らが、区民と共に中国から飛んできたツルが
稲穂を落とし稲が発芽したという新原(みいばる)区集落西側の
「米地(めじ)」に寄って御願した後、
受水走水に移動しました。

宮古島から訪れた女性たちもそろって
受水と走水2カ所の拝所で拝みを済ませて田植えを開始し、
稲作の会の若者3人が
おでこに米(ヒチ)粉(ジ)を付けて身を清め、
「親田」と呼ばれる田んぼに足を踏み入れて
準備された稲の苗を植えていきました。

田植えが終わると百名ビーチ近くの
祝(ゆーえー)毛(もー)に集まって幸喜区長を先頭に
重箱とビンシー、泡盛を供えて北、西、南、東の順に向かってそれぞれ33回祈る
「三十(さんじゅう)三拝(さんぺー)」の四方杯を行いました。

最後に稲作の祖アマミツが祭られている
ミントングスクへ行って行事が
無事終了したことを報告しました。

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保護者の金銭的負担軽減等のため  「制服リレー」

2024年3月28日(木)放送分

担当は上地和夫さんです。

琉球新報の記事から紹介します。

那覇商業高校はこのほど、
3月1日に巣立った卒業生から寄せられた
制服を新1年生に寄贈する
「制服リレー」を校内の武道場で行いました。

那覇商業での制服リレーの実施は初めてで、
ブラウスやブレザーなど女子生徒用の上着が
36着、ネクタイが6本、学ランが2着、
男性用ズボン2着が寄せられました。

制服リレーは今年1月、ある保護者から
「制服の受け渡しをやっていないか」との
問い合わせをきっかけに、
生徒会が学校側に提案しました。

生徒会では3年生への呼びかけや
新1年生に向けての周知などを担いました。

さらに、家庭クラブの生徒が制服の修繕などを
行ったほか、
教員も自前のハンガーを提供するなど
学校全体で制服リレーの実現に協力しました。

この日は午後2時の開始直後から
ひっきりなしに新1年生やその保護者が訪れ、
制服を手に取り、試着し、
当初、午後4時までを予定していましたが、
開始から1時間程度で
すべての制服がなくなりました。

制服リレーを企画した生徒会は
「制服リレーで保護者の金銭的負担が
軽減でき、卒業生にとっても
せっかくの制服を捨てなくて済む。
自分たちの代から制服リレーを
伝統にしたい」と意気込んでいました。

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平和の礎 名前の読み上げ実施へ

2024年3月27日(水)放送分

担当は上地和夫さんです。

琉球新報の記事から紹介します。

「沖縄『平和の礎』名前を読み上げる集い
2024」実行委員会はこのほど、
県庁で記者会見を開き、
糸満市の「平和の礎」に刻まれた戦没者の
名前を読み上げる取り組みを
実施すると発表しました。

今年で3回目で、
現在ホームページで応募を受け付けており、来月4月14日までは団体や学校で、
翌15日以降は個人で応募できます。

町田直美実行委員長は
「ウクライナやガザの悲惨な状況を見ると
沖縄戦に重なる。
沖縄で軍事化が懸念される中、
今年はもう一歩強く戦争を否定する
強い気持ちで読み上げたい」と語りました。

6月1日から23日まで、
戦没者24万2046人の名前を
午前9時から午後8時にパソコンを
インターネットにつないで読み上げるもので、
会見で、平和の礎建設に携わった
元県知事公室長で実行委員会顧問の
高山朝光氏は沖縄本島北部での戦争体験に触れながら
「沖縄戦もだが、
戦争は全てを破壊する。世界情勢は厳しく、
沖縄には戦争前夜のような状況が
持ち込まれている。
沖縄が二度と戦場にならないという思いを
世界に発信したい」と力を込めました。

寄付やボランティアも募っています。

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兄から受け継いだランドセルで小学校卒業

2024年3月26日(火)放送分

担当は中川信子さんです。

琉球新報の記事から紹介します。

12年間お世話になりました。
那覇市立安謝小学校の宮城遥希さんが、
兄の心輝さんから受け継いだランドセルを
使い続け、小学校を卒業しました。

遙希さんは目標だった皆出席も達成し、
「小学校に入学した時からお兄ちゃんから受け継いだランドセルを
最後まで使い続けたいと思っていた。それがかなってうれしい」と語り、
少しくたびれたランドセルに感謝の思いを込めました。

遙希さんは4人兄弟の3男で、
6年前にちょうど安謝小を卒業した次男の心輝さんから
ランドセルを受け継ぎました。

何度か糸がほつれたり、布が破れたりしましたが、
そのたびに母親が補修しました。

遥希さんは県内屈指の卓球選手で、
今月3日に行われた県小学生大会では
高学年の部個人で優勝しています。

学校生活では児童会の運営委員を務め、
ちょっとした得意技などを披露し合う「自慢大会」を企画したり、
能登半島地震への寄付を呼びかけたりしました。

遥希さんは4月から安岡中学校に進学し、
中学でも卓球を続ける予定ですが、
将来の夢は医師になることで
「小5の時にけがをした時に治療したくれた医師との出会いで、
スポーツでけがをした人がまた活躍できるよう手助けしたい」
と語っています。

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本土の感染確認で県がはしか警戒

2024年3月25日(月)放送分

担当は上地和夫さんです。

琉球新報の記事から紹介します。

東京都や奈良県などで、感染性の強い麻しん=
はしかが確認されたことで、
二十数年前に乳幼児9人が命を落とした
大流行を経験している沖縄は
警戒感を強めています。
感染対策の要になるワクチンの接種率は
全国最下位で、
集団発生のリスクがある現状に、
県立中部病院感染症内科の椎木創一医師は「既往歴を確認し、必要ならワクチン接種を
検討してほしい。
1歳からしか打てないため、
妊娠の予定がある人は赤ちゃんを抗体で
守るため妊娠前の接種を勧める」
と呼びかけています。

はしかは感染後およそ10日間の潜伏期間を
経て高熱や風邪症状になり、
ほほの粘膜に灰白色の小斑点が現れます。
空気感染で広がるトップクラスの感染力で、
医療用のマスクでも防げないということです。
県内では1999年と2001年の流行で
3500人以上が感染し、
脳炎や肺炎で乳幼児9人が亡くなるなど
「発展途上国並みの被害」と言われました。
椎木医師は「ワクチンを2回接種すれば
   り患する可能性を95%減らせる。
未接種者が多いほど
大規模な流行につながるため、
自分と周囲を守る対策を
とってほしい」と語りました。

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三板の日イベント、民謡ファンでにぎわう

2024年3月22日(金)放送分

担当は赤嶺啓子さんです。

琉球新報の記事の中から紹介します。

「三板(さんば)の日」の3月8日、
沖縄三板協会主催の第21回三板講習会&
民謡ライブが沖縄市民会館中ホールで開かれ、
およそ200人のファンでにぎわいました。

三板は琉球伝統芸能に欠かせない打楽器で、
2010年に日本記念日協会から記念日登録証を授与されています。

協会では三板は全てのジャンルの音楽になじむとアピールし、
照屋政雄会長のユーモアたっぷりのあいさつを受けた講習会では、
老若男女が初心者と経験者に分かれ、
協会の講師10人余が三板の基本を指導しました。

その後、全員で「東京ブギウギ」や民謡曲を合奏し、
軽快なテンポの響きに笑顔が広がりました。

知人から誘われ、父と妻の3人で参加したという
大阪出身の公務員の男性は
「ほんとに楽しいイベントだった。満喫した」と話していました。

一方、同時に開催された第7回
「輝け!セイ小大賞」には2人組の「とぅるるんてん娘」が選ばれました。
セイ小の愛称で呼ばれる民謡の大家、
登川誠仁さんが三板の普及の功労者として創設された賞で、
その登川流の2人がコンビを結成しただけに、
「師匠へ恩返しができた」と喜びを爆発させました。

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琉球王府最高位の神女・聞得大君のかんざし 「金銅雲龍文簪」

2024年3月21日(木)放送分

担当は上地和夫さんです。

琉球新報の記事から紹介します。

国の重要文化財に指定される県立博物館・
美術館保管の「金銅雲龍文簪」は、
カブと呼ばれる直径10・8センチの
飾り部分と、髪に差す茎部でできており、
全長27センチの大きさです。

カブの側面には玉を手に持つ2頭の龍を、
手工具の鏨を用いて立体的に彫られており、
かんざしは銅製で表面に
鍍金が施されています。 

金銅雲龍文簪は王府の正史「球陽」に
記されている聞得大君と王妃が身に着けた 「黄金龍花大簪」に当たります。

漆工芸など王府伝来の遺品に多く見られる
「天」の字を形象化した印が刻まれています。

かんざしは戦前、
中城御殿に保管されていましたが、
沖縄戦の最中にアメリカ軍人により持ち去られ、
戦後は一時行方不明となりました。

アメリカへ移民として渡った県出身の
吉里弘さんらがアメリカ国内の関係者に
掛け合い、沖縄の人たちが返還を
望んでいることを訴え続け、
1953年に『おもろさうし』などと一緒に
沖縄へ返還されるなど、
苦難の歴史をくぐり抜けました。

金属工芸の専門家で、かんざしの復元作業にも
携わった京都国立博物館名誉館員の
久保智康さんは、
「琉球王府の金工技術のレベルの高さを
改めて立証している。
琉球史研究の貴重な史料として、
後世に伝えていくべき作品だ」
と述べました。

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戦時中に流出の文化財 アメリカで発見 返還される

2024年3月20日(水)放送分

担当は上地和夫さんです。

琉球新報の記事から紹介します。

戦時中に沖縄から流出した文化財が
このほどアメリカで発見され、
14日に県へ返還されました。

返還された文化財は22点で、
第二尚氏第13代国王尚敬と
第18代国王尚育の御後絵=
琉球国王の肖像画が含まれています。

尚敬の御後絵は縦横およそ160センチ、
尚育は縦横およそ150センチの大きさで、
 琉球文化研究者の鎌倉芳太郎が1925年に
撮影したモノクロ写真が残されていましたが、
今回初めて実際の色彩が判明した
御後絵の実物が戦後確認されたのは初めてです。
 
県は2001年、流出文化財について
FBI=アメリカ連邦捜査局の
盗難美術品ファイルに登録申請し、
去年3月、FBIから外務省を通じて、
流出文化財22点が発見されたと
県に照会がありました。

県はこれらが沖縄戦で持ち出された
文化財である可能性が「極めて高い」と
判断し、移送を依頼しました。

県は有識者委員会を設置して、
詳細について調査し、
損傷状況に応じて公開を検討します。

玉城デニー知事は「70数年の時を経て、
王国時代を肌で感じられる沖縄の宝が
戻ってきたことは
大きな喜びだ」と述べました。 

研究者らは
今後は特に色彩の研究が加速することで、
琉球王国時代に関する新たな史実が
一つでも多く解明されることに
期待を寄せています。

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