南城市大里 地域医療に従事した平島國造さんの顕彰碑を設立

方言ニュース  
2017年11月6日(月)放送分

担当は糸数昌和さんです。

琉球新報の記事から紹介します。
今から100年前の1917年、
現在の南城市の大里字稲嶺に診療所を
開き、
およそ30年にわたり地域医療や
貧しかった農村を豊かにしようと
尽力した鹿児島県喜界島出身の医師、平島國造さんを後世に伝えようと、
稲嶺区は今週にも顕彰碑を設置します。

平島医師は1911年、
長崎医学専門学校を卒業後、沖縄に渡り、
当時乳幼児の死亡率が非常に高かった
稲嶺区で母親らに乳幼児の
衛生管理について分かりやすく教え、
無料健診も行いました。

また、豚舎と一体型の便所が衛生状態を
悪化させていたことから、住民を説得し、
別々にした改良便所を全世帯に普及し、
銭湯や織物工場の設置、井戸の改良、
なども進めました。

その後、平島医師は戦況悪化のため
28年間過ごした稲嶺を離れ、
鹿児島県に疎開し、
人々の記憶から遠のいていきました。

平島医師は疎開後、勤務医として
鹿児島県内の診療所で働き、1965年に
81歳で亡くなったということで、
稲嶺区で民生委員を務める(68)歳の男性は
「戦後なぜ交流がなかったのかは分からないが、
沖縄戦で稲嶺区民のおよそ半数が亡くなり、
自身が生き残った負い目を感じていたのかもしれない」
と話しています。

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