月別アーカイブ: 2017年2月

北中城村石平に「夫婦シーサー」が設置される

2017年2月17日(金)
担当は、糸数昌和先生です。

琉球新報の記事から紹介します。

北中城村石平の普天間川沿いに植樹されたヒカンザクラの近くにこのほど、「夫婦シーサー」が設置されました。
桜の開花を前に「満開の桜の下で、縁結びの名所になってもらいたい」と、
普天間川の再生を目指す「家人衆会」が設置したもので、
家人衆会では、普天間川の清掃や植樹活動などを2002年から実施しており、
2005年には川沿いの両脇のおよそ1キロに合わせて300本余のヒカンザクラを植樹しました。

楚南会長は
「およそ5年前から桜もつぼみを付け始め、3年前から、家人衆会で桜まつり』も始めた」
と川沿い周辺の活性化に挑んでおり、シーサーの設置を機に
「新たな石平の名物にし、中部地域の桜の名所にしたい」
と願いを込めています。

また、夫婦シーサー制作者で、40年以上陶芸に携わる山内米一さんは
「この場所に合う、優しい顔のシーサーを作品の中から選んだ」と語り、
石平地域の新名所確立へ向け
「若い男女がシーサーを参拝し、恋愛が成就できるような場になってほしい」と笑顔を浮かべていました。
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『平和のうた』が二ヶ月ぶりに再開

「『平和のうた』が二ヶ月ぶりに再開」
方言ニュース2月16日(木)放送分。
今日の担当は上地和夫さんです。
琉球新報の記事から紹介します。

おととし12月にスタートし、
琉球新報で毎週日曜日の1面に掲載されてきた企画「平和のうた」が、
およそ2ヶ月の休載を経て、12日付の紙面から再開されました。

「平和のうた」はより多くの人に参加してもらいたいとの思いから、
形式や決まり事にこだわりすぎず、ちむぐくるやユイマール精神、
先祖や自然への敬い、大切な人への思い、何気ない日常の尊さなど、
日々の暮らしの中で感じた「平和」を自由に表現するもので、琉球新報が募集しています。

新たな選者は出版社ボーダインクの喜納えりかさんが務めます。
「平和のうた」の選考はこれまで各分野の専門家を交えて行ってきましたが、
今年はあえて専門的な視点を外し、作者や読み手の感性を大事にしたいとの思いから、
喜納さん一人での選考を依頼したもので、
喜納さんは
「自分なりの目線で、相手の人生や来し方を想像しながら選考したい」と意気込んでいます。
12日に掲載された女性の短歌は
「作者の内側から出てきた切実な言葉が心に残った」ということで、
最初の選考を終えた喜納さんは
「選考を通して、会ったことのない作者の歩んできた人生を考える機会になった」
と語りました。
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東京の学生らが沖縄戦戦没者の遺骨収集

2017年2月15日(水)放送分
担当は上地和夫さんです。

東京のNPO法人国際ボランティア学生協会の
第1陣87人がこのほど、
南城市内で沖縄戦戦没者の遺骨収集作業を実施し、
戦没者の者と思われる細かい骨やくし、
歯ブラシの柄などが見つかりました。

18日からは第2陣の80人が来県し、
3日間にわたり収集作業をする予定です。

遺骨収集は全国各地の大学生が参加し、
2011年から4年連続で実施しているもので、
来県前に人骨の特徴や沖縄の歴史などについて学び、
知識を深めた他、南風原文化センターや
ひめゆり平和祈念資料館などを訪れ、
平和についても考えました。

学生たちはおよそ20の班に分かれて
収集作業に当たりましたが、
狭くて暗いガマ(自然壕)の中で
作業をしていた大学1年の男子学生は
「遺骨をお迎えしたいと思い初めて参加した。
もし遺骨が出て迎えられたら丁寧に取り上げたい。
将来の夢は社会科の教師なので、
歴史に触れる機会にしたい」と話し、
丁寧に掘った土を選別していました。

また、初めて参加した大学2年の女子大生は
「ガマは身を守るために入った所なので、
ちょっとでも遺骨が見つかればいいなと思う」と、
戦没者に思いをはせながら黙々と土を掘り起こしていました。
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東村立高江中学校 68年の歴史に幕

2017年2月14日(火)

担当は伊狩典子さんです。

琉球新報の記事からご紹介します。

東村立高江中学校で今月4日、
68年の学校の歴史に幕を下ろす閉校式が開かれ、
在校生や卒業生、
地元住民や村関係者らおよそ150人が出席し、
長年の歴史を刻んだ学校の閉校を惜しみました。

高江中学校は今年4月、
東中学校と有銘中学校と統合され、
新たに東中学校として開校します。

式典では、2人女子生徒があいさつし、
「高江中は地域的に
大変で厳しい場所にあるにもかかわらず、
負けることなく先輩方が学校の歴史を築いてきた。
本当に閉校してしまうんだと感じ、
心の中に寂しさをこらえることはできなかった」
と目に涙をためながら涙ながらに語り、
「皆さんと一緒に歩んだ日々は大事な宝物です。
私たちのふるさと高江地区が輝かしい
未来を育んでいきますように」と
前を見据えながらあいさつしました。

また、閉校式には、多くの卒業生も訪れ、
1974年卒業の57歳の女性は
「私たちの頃は、プールや体育館もなくて
運動場でバレーをして擦り傷をつくりながらやっていた。
思い出のある学校が統合されるのはやっぱり寂しいけど、
子どもたちは元気に明るく育っていると思う」
と話していました。
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