与那原で戦中の運玉森を知る学習会開催

2016年6月1日(水)放送分
担当は上地和夫さんです。

沖縄戦で激戦地となった運玉森が
アメリカ軍に陥落した5月21日を
「町民平和の日」と定めた与那原町で、
その日に町民に呼び掛けて第1回運玉森登頂平和学習会が開かれました。

中城湾に面した与那原は1941年に臨時要塞の建設が始まり、
重砲隊、野戦部隊、兵舎、慰安所などが設置され、
アメリカ軍による沖縄攻撃開始を起点に、
首里戦線最後の激戦地運玉森は浦添、西原、那覇の3方や
海上から総攻撃を受け、焼け野原となりました。

学習会では、アメリカ軍が百万ドルの山=コニカル・ヒルと命名した
標高158メートルの運玉森の頂上を目指して、
急な坂を、準備された綱と
周りに生えた木立をつかみながらゆっくりと登り、
与那原町全景、弁ケ岳、浦添、西原、豊見城、中城湾が
一望に広がる光景に参加者から「素晴らしい」と感嘆の声が広がりました。

そして、講師から、
アメリカ軍が運玉森を目指して進行した方向や日本軍の動き、
住民の避難壕での生活などが説明されました。

町内の母と娘、那覇市の男性は
「日米両軍が攻防を懸けて対戦し、
百万ドルの山と呼ばれた運玉森がどんな所か、ぜひ一度見たかった。
戦いの様子や犠牲になった住民の話などを聞いて大変よかった」と語りました。
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