平敷屋東エイサー「ひめゆりの唄」

2021年8月3日(火)放送分

担当は宮城葉子さんです。

琉球新報の記事から紹介します。

1960年前後にうるま市の平敷屋東青年会の
エイサーで使われていた「ひめゆりの唄」が、
ひめゆりの塔に供えられた琉歌を元に
制作されたものだとこのほど確認されました。

沖縄戦で子どもを亡くした親が詠んだと
思われる琉歌からは、
子を戦争に送り出した後悔と平和への願いが感じ取れ、
琉歌を記憶していた西野ハルさんは
「琉歌を書いた親の気持ちはよく分かる」
と語っています。

西野さんは、平敷屋で生まれ育ち、
沖縄戦では防衛隊に動員された父親を失いました。
「どのように亡くなったかは分からない」
ということで、
送り出した家族の死の全容は分からず、
ただ安寧を願う境遇は、「ひめゆりの唄」の
琉歌を詠んだ親の境遇と重なります。

平敷屋エイサーは明治以前から南北に分かれて、
太鼓打ちの技を競い合ってきました。
「ひめゆりの唄」が平敷屋東青年会の
エイサーに取り入れられた1960年ごろは、
受け継がれている曲目とは別に
毎年3曲ほど新曲のエイサーを披露しており、
平敷屋東青年会で踊り手だった西野さんは
「いつも歌から覚えさせられた。
今でも平敷屋エイサーの歌は全部覚えている」
と懐かしみました。

平敷屋エイサー保存会は「ひめゆりの唄」の
詠み手について情報を求めています。

再生