竹富島の謎の坊主墓、情報提供求める

方言ニュース  2019・10月・9月日(水)
琉球新報の記事から紹介します。

竹富町竹富島に北側に古くからある「坊主墓」。

数百年前には那覇の崇元寺から僧侶が
毎年のように供養に訪れていたというのがその呼び名の由来で、
高位な人物がまつられていたとみられる特徴がありますが、
まつられていた人物や建てられた経緯などが不明で、
大きな謎として島で語り継がれてきました。

竹富島に残る墓で唯一、
高位な人物の墓に付けられるという宝珠が 墓上部に乗っています。

今からおよそ60年前に伊是名島か伊平屋島からユタが訪れ、
「首里に納める」と遺骨を運んだとも伝えられてきたということで、
島の文化財管理などに取り組むNPO法人たきどぅんが
今年8月に清掃や祈祷を兼ねて墓上部のふたを開けて内部を調査したところ、
口承通り遺骨はありませんでした。

一方で、元々骨が納められていたとみられる
かめの破片が残っていたということです。

たきどぅんでは、八重山諸島を統治するなど
16世紀に活躍した島の偉人・西塘の母の墓ではないかと見ており、
上勢頭理事長は
「NPO発足当初から坊主墓の謎の解明は目標だった。
西塘の母親であるならばなおさらだ。
ヒントが失われる前に、できるだけ早く謎を解きたい」
と情報提供を呼び掛けています。

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