戦争生き抜いた いっこく堂さん両親

2018年6月26日(火)

担当は宮城葉子さんです。

琉球新報の南風の中から腹話術師の
いっこく堂さんの記事を紹介します。
昭和10年生まれ父はサイパンで生まれポンペイで過ごし、
昭和11年生まれの母は沖縄で生まれパラオで過ごしました。

そんな平和な島々もやがて戦禍に巻き込まれることとなり、
父親一家は攻撃を逃れるために沖縄行きの船に乗ったものの、
アメリカ軍の空襲に遭い、
9歳だった父親は泳いで近くの島に辿り着きました。

その後、何とか母親、
私の祖母との再会を果たし、
戦火が激しさを増す沖縄へ来ました。
一方、母は両親と弟の3人で、
パラオで家畜を飼い農業を営んでいましたが、
パラオも戦場と化し、父親も戦争に行き、戦死しました。

防空壕で小さな弟が泣き出した際、
兵隊に「うるさいから出ていけ!」と追い出されたこともあり、
山中を逃げ回る生活を余儀なくされたため、
弟2人は栄養失調で亡くなりました。

そして、戦後沖縄に戻ると、
祖母に預けられていた姉2人兄1人がおり、
母は自分が長女ではないという事実を知ります。

やんばるの自宅は、南部から避難してきた人たちに占拠され、
南部の安全が確保され戻っていくまで、
牛小屋で暮らしましたが、逆境の中を生き抜き、
厳しい人生をくぐりぬけてきた両親を、私は誇りに思っています。

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